
この記事のポイント
- イタリアの元外相エンマ・ボニーノ氏が死去し、国葬で送る方針が現地で報じられた。
- 大統領から首相まで、党派や左右の立場を超えて追悼の言葉が相次いでいる。
- 中絶合法化や死刑廃止など、権利をめぐる闘いの最前線に立ち続けた政治人生だった。
党派を超えて広がる追悼
イタリアで、元外相で欧州委員も務めたエンマ・ボニーノ氏の死去が報じられ、政界全体に追悼の声が広がっている。ANSA通信など現地メディアは「権利のために最前線に立ち続けた一生」と伝え、セルジョ・マッタレッラ大統領(イタリアの国家元首。首相とは別の役職で、政治的な調停役を担う)から、右派連立を率いるジョルジャ・メローニ首相まで、立場を異にする政治家が相次いでコメントを出した。現地報道によれば、政府は国葬(esequie di Stato)で送る方針とされている。1948年生まれで、78歳だった。
「急進党」から外相、そして親EU政党へ
ボニーノ氏は、戦後イタリアで市民的自由の拡大を訴えてきた少数政党「ラディカリ(急進党)」の中心人物として知られる。故マルコ・パンネッラ氏とともに、住民投票(レファレンダム)や不服従の直接行動を武器に、既成政党が触れたがらないテーマを政治日程に乗せてきた。1990年代には欧州委員会の委員として消費者政策や人道援助を担当し、2013年から翌年にかけてはエンリコ・レッタ内閣で外相を務めた。近年は親EU・リベラル路線の政党「+Europa(ピウ・エウロパ)」の顔として、上院で活動してきた。
中絶合法化と、逮捕という手段
彼女の名前を決定づけたのは、中絶が違法だった1970年代のイタリアでの活動だ。非合法の中絶が女性の生命を脅かしている実態を可視化するため、自ら関与を公にして逮捕される道を選び、裁判そのものを世論喚起の場にした。イタリアが中絶を条件付きで合法化するのは1978年(いわゆる194号法)で、その前史に彼女がいた。離婚制度の定着、死刑執行停止を求める国際的な働きかけ、女性器切除(FGM)の撤廃運動など、活動領域は国境を越えて広がった。カトリック教会の影響力が強い社会で、こうした主張は長く激しい対立を伴ってきた。
日本から見る視点
イタリアの国葬は政府の決定で執り行われる国家的儀礼で、対象者の選定が議論になることもある。今回は与野党を超えた弔意が伝えられているが、日程や形式の詳細は流動的とみられる。日本ではイタリア国内政治が詳報される機会は多くないが、「権利は待っていても与えられない」という彼女の一貫した姿勢は、制度改正のスピードを問う議論として各国に通じるものがある。
※本記事はイタリアの現地報道をもとに、編集部が日本語で再構成したものです。
📰 情報ソース:ANSA




