
この記事のポイント
- フィリピンで9月21日、1972年の戒厳令布告から54年の記念日に合わせ全国で抗議集会が行われた。
- 警察は警戒態勢を敷き、大統領府マラカニアン宮殿の周辺は当日封鎖される措置が取られた。
- 今年は過去の独裁の記憶に加え、公共事業をめぐる汚職への怒りを掲げる団体が目立っている。
9月21日、フィリピンが振り返る「戒厳令の日」
フィリピンでは毎年9月21日が、独裁の記憶を呼び起こす特別な日として扱われている。1972年のこの日付で、当時のフェルディナンド・マルコス大統領(現マルコス・ジュニア大統領の父)が戒厳令を布告した。以後1981年までの約9年間、議会は閉鎖され、報道は統制され、多数の市民が令状なしに拘束された。フィリピンの人権団体は、この期間に拷問や超法規的殺害を含む深刻な人権侵害があったと訴え続けてきた。
この記念日には毎年、市民団体・労働組合・学生団体・宗教関係者などが街頭に出て集会やデモ行進を行う。今年も首都圏を中心に大規模な抗議行動が予告され、フィリピン国家警察(PNP=Philippine National Police、日本の警察庁にあたる全国組織)が警戒態勢を敷いた。
大統領府周辺は封鎖、警備を強化
現地報道によれば、大統領府マラカニアン宮殿(Malacañang、マニラ市内パシグ川沿いにある大統領の公邸兼執務室で、日本でいう首相官邸に相当する)の周辺は9月21日に封鎖される措置が取られた。警察は集会の規模が大きくなると見込み、交通規制や検問、部隊の増派といった警備措置を準備したと伝えられている。
フィリピンでは大規模デモの際、警察が「最大限の自制(maximum tolerance)」を掲げて対応するのが建前とされる。これは集会・デモの権利を保障する法律に基づく原則で、平和的なデモには強制排除を控えるという考え方だ。ただし実際の運用をめぐっては、過去に衝突や強制排除が起きた例もあり、市民団体からの批判が繰り返されてきた。
今年の焦点は「汚職」への怒り
今年の抗議行動で目立つのが、戒厳令の記憶と現在の政治腐敗を結びつける訴えだ。複数の団体が、公共事業をめぐる不正や税金の使われ方への不満を掲げて街頭に出ると報じられている。過去の独裁を象徴する日付に、現政権や政治エリート全般への批判を重ねる形である。
フィリピンの現地メディアの一部は、この記念日に合わせて「民主主義への新たな懸念」を論じる記事も出している。具体的にどの制度がどう脅かされているかの評価は報道や論者によって分かれており、単一の見方に収れんしているわけではない点には注意が必要だ。
日本の読者が押さえておきたい背景
フィリピンで戒厳令の記念日がこれほど重い意味を持つのは、1986年の「ピープルパワー革命」でマルコス政権が倒れた歴史と地続きだからだ。そして現在の大統領はその独裁者の息子であり、2022年の選挙で当選した。父の時代をどう評価するかは、フィリピン社会でいまも決着のつかない論争であり続けている。9月21日の街頭は、その論争が最も可視化される場と言える。
なお、デモの参加人数や当日の具体的な展開については、現時点で確定した数字を断定することはできない。大規模な集会が予告され、それに応じて警備が強化された、というのが確実に言える範囲である。
※本記事はフィリピンの現地報道をもとに、編集部が日本語で再構成したものです。
📰 情報ソース:Inquirer.net




