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トラテロルコ事件から58年、メキシコで軍の記録公開を求める声

1968年に学生らが犠牲になったトラテロルコ事件から58年。メキシコでは市民団体などが軍の記録の全面公開と、すでに亡くなった責任者の責任を明らかにするよう求めています。

トラテロルコ事件から58年、メキシコで軍の記録公開を求める声
🔥🔥 ローカル度・高

この記事のポイント

  • 1968年10月2日、メキシコシティで学生らが軍に銃撃された「トラテロルコ事件」から58年を迎えた。
  • 市民団体などは、発砲の命令系統や犠牲者数を明らかにするため、軍が持つ記録の全面公開を求めている。
  • 当時の学生運動の関係者らは、すでに亡くなった責任者についても、司法の場で責任を明らかにするよう訴えている。
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「10月2日」が今も問いかけるもの

メキシコで10月2日は、特別な意味を持つ日です。1968年のこの日、首都メキシコシティのトラテロルコ地区にある「三文化広場」で、集会を開いていた学生や市民に軍と治安部隊が発砲し、多くの人が犠牲になりました。「トラテロルコ事件」と呼ばれています。事件から58年となる今年も、市内では追悼のデモ行進が行われました。現地報道によると、市民団体などは軍が持つ記録の公開を改めて強く求めています。

事件の背景

1968年のメキシコは、同じ年の10月12日に開幕するメキシコシティ五輪を控えていました。当時は制度的革命党(PRI)が長く政権を握っており、学生たちは政府の強権的な姿勢に抗議して、政治犯の釈放や警察の暴力の停止などを求めていました。五輪を前に国の「安定」を見せたい政府は運動を厳しく抑え込み、その最中に起きたのがこの事件です。死者の数は今も分かっていません。当局は当初、数十人と発表しましたが、研究者や遺族からは数百人にのぼるという見方も出ています。

「軍の記録を開け」という要求

今年、特に強く求められているのが、メキシコ軍(国防省)が持つ当時の記録の公開です。誰が発砲を命じたのか、部隊はどう動いたのか、犠牲者は何人だったのかといった肝心な点は、軍の資料がなければ分からないと考えられているためです。過去の政権もいわゆる「汚い戦争」の時代(1960〜80年代に政府が反体制派を弾圧した時期)の記録公開を進めてきました。しかし、事件の検証に関わった人たちからは「軍の資料には十分に手が届いていない」という声が繰り返し上がっています。

責任者の「死後の有罪判決」も焦点に

当時の学生運動の関係者でつくる「コミテ68(1968年委員会)」は、すでに亡くなった責任者についても、司法の場で責任をはっきりさせるべきだと訴えています。事件当時に内務大臣を務め、後に大統領となったルイス・エチェベリア氏は、2000年代にジェノサイド(集団殺害)の罪で訴追されました。しかし最終的に罪には問われず、2022年に亡くなっています。今回の要求には、刑罰を科すことよりも、国家として責任を公式に記録に残してほしいという意味合いがあるとみられます。

今後の見通し

現在のシェインバウム政権は、前政権の路線を受け継ぎ、過去の人権侵害の検証に前向きな姿勢を示しています。一方で、近年は治安対策などで軍の役割を広げてきた経緯もあります。軍の記録公開にどこまで踏み込めるかは、政権と軍の関係を映す試金石になりそうです。半世紀以上前の事件ですが、メキシコでは今も「過去にどう向き合うか」を問う現在の問題であり続けています。

※本記事はメキシコの現地報道をもとに、編集部が日本語で再構成したものです。

📰 情報ソース:La Jornada

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