
この記事のポイント
- メキシコ左派の象徴クアウテモック・カルデナス氏が92歳で死去し、選挙機関や最高裁が相次いで追悼した。
- 石油国有化で知られるラサロ・カルデナス元大統領の息子で、与党PRIを離れて1988年の大統領選に挑んだ。
- PRDの結成を主導し、初めて選挙で選ばれたメキシコシティ首長となった。今の左派政権の源流とされる。
メキシコで、左派政治の象徴的存在だったクアウテモック・カルデナス氏が92歳で亡くなったと、現地の主要メディアが伝えました。国の選挙管理機関である国家選挙機関(INE)や連邦最高裁判所(SCJN)が相次いで追悼の意を示しており、政党の枠を超えて功績をたたえる声が広がっています。
「石油国有化の大統領」の息子として
カルデナス氏は、1930年代に大統領を務めたラサロ・カルデナス氏の息子です。父のラサロ氏は1938年に石油産業を国有化したことで知られ、今もメキシコで特に人気の高い歴代大統領の一人です。クアウテモック氏は、20世紀のメキシコを長く単独で治めた制度的革命党(PRI)に属し、出身地のミチョアカン州で知事を務めました。
与党を離れ、民主化の流れをつくる
大きな転機は1980年代後半です。PRIの中で党内民主化を求める動きを率いたあと党を離れ、1988年の大統領選に左派勢力の統一候補として立ちました。この選挙は開票の途中で集計システムが止まるなどして不正の疑いが強く持たれ、結果はPRIの候補が当選しましたが、「一党支配が揺らいだ選挙」として今も語り継がれています。
その後、カルデナス氏は中道左派の民主革命党(PRD)の結成を主導しました。1997年には、それまで大統領が任命していた首都メキシコシティの首長を初めて住民の選挙で選ぶ選挙に勝ち、首長に就いています。大統領選には計3回挑みましたが、当選はしていません。それでも、競争のある選挙と政権交代への道を開いた人物として高く評価されています。
ロペスオブラドール氏との関わり
現地報道は、カルデナス氏がのちに大統領となるアンドレス・マヌエル・ロペスオブラドール氏(通称AMLO、2018〜2024年在任)に道を譲る形で、大統領候補への立候補を見送った場面も振り返っています。2人は同じPRDから出ましたが、のちに距離が生まれたとも言われます。与党モレナの有力者リカルド・モンレアル氏は「左派が国を治める姿を見るというカルデナス氏の夢はかなった」と述べ、現在の左派政権の源流に同氏がいたことを強調しました。
評価と今後
最高裁は「国の民主化に貢献した」とたたえています。メキシコでは現在も左派のシェインバウム政権が続いており、今回の訃報をきっかけに、一党支配から複数政党の競争へと移った過程を振り返る議論が深まりそうです。ただし、評価は立場によって分かれる可能性もあります。
※本記事はメキシコの現地報道をもとに、編集部が日本語で再構成したものです。
📰 情報ソース:EL PAÍS




